★黒部峡谷(くろべきょうこく)
      
     
  基本データ:内蔵助谷出合(標高)1250m(場所)富山県立山町(コース)黒部ダムカレ谷出口から往復(標高差)約250m(総距離/時間)約7q/6h(備考)'25.9.27
    
       黒部ダムは、北アルプスの黒部峡谷を流れる黒部川に造られたアーチ式のダム(幅492m、高さ186m)である。
      
 戦後の電力不足解消のため関西電力が、1956年(昭和31年)に着工した黒部ダム(通称くろよん)。資材輸送のトンネルの難工事(出水など軟弱な地層「破砕帯」)を経て、1963年(昭和38年)に完成した(殉職者171人を数えた)。
      
 戦前に電力開発の調査目的で、欅平から仙人谷まで「水平歩道」が作られていた。それを日本電力が黒部ダムまで延伸したのが「日電歩道」である。この仙人谷から黒部ダムまでのルートを「下ノ廊下」と呼んでいる。
      
 どちらも黒部川沿いの断崖絶壁を「コ」の字形にくり抜いた幅の狭い道などを通る危険なルート。抜け道がないので二つをセットで歩くことになる(令和7年9月現在、工事中で出合から通行止め)。
      
 真砂岳(2861m)の東側に「内蔵助平」「内蔵助谷」があり、黒部川に合流する。そこが「内蔵助谷出合」である。これらの地名は、戦国武将「佐々成正(通称内蔵助)」の英雄譚に由来して付けられたものと思われる。
      
 それは、佐々成正が富山城主であったとき、厳冬期の立山連峰に向いザラ峠(2348m)を越え、黒部川を渡り針ノ木峠(2536m)を越えて信州に入り、浜松に行き反秀吉側についたとされる通称「さらさら越え」(ザラ峠越え)伝説である。