★荒船山(あらふねやま)
基本データ:荒船山(標高)1423m(場所)佐久市・群馬県下仁田町(コース)内山峠コース(標高差)約360m(総距離/時間)約10q/4.5h(備考)日本二百名山・信州百名山、'21.10.29
荒船山を内山牧場のキャンプ場から見たとき、私は「クジラが大きな口(断崖)を開け、尾ひれ(経塚山)を振って進んで来るように」見えました。
佐久方面から眺めると、山というよりも大きなテーブルのように見えます。台形の山を荒船山と名付けたのは、『「経塚山」を船の舳先(へさき)に、「断崖」を船尾の艫(とも)』に見立てたのでしょう。
「荒船」(幅約400m、長さ約2qの溶岩台地)が、海上に約200m(断崖絶壁)浮いて進むさまを想像すると、「荒波の中を進む船」にたとえて「荒船山」と名付けたことがうなずけす。
艫岩(ともいわ)から経塚山への間にある笹原は、皇朝最古の修武之地と言われています。
信州諏訪神社の建御名方神が、「野菜・魚以外殺生して食べてはならない」では、「海のない信州では生きていけないので、猿・鹿を食べて良いか」と、天照大神に聞いたところ、許されなかった。そこで、建御名方神は温暖で海に出られる関東に、領地拡大の準備を始めた。
これを知った香取神宮の経津主神と鹿島神宮の建御雷之男神は、信州境にあるこの地に陣を構えた。
天照大神は、「名だたる軍神たちが戦いを起こせば国が荒れてしまう」と、孫のニニギノミコトをこの地に使わして、3神の和議を結ばせました。この言い伝えのある場所が修武之地です。