★葛山(かつらやま)

     

葛山・頼朝山

山の名前場所標高トレッキングコース標高差総距離/時間備考
葛山長野市鑪(たたら)812m 茂菅から往復約380m 約4.5q/2h '20.6.27
 
 

 葛山へのトレッキングは、茂菅から頼朝山(638m)を経て、山頂の葛山を目指すコースをとりました。  
 葛山の中腹には、静松寺(じょうしょうじ)があります。  
 静松寺は、建久8年(1197年)に源頼朝から善光寺参詣の折に田地山林を寄進されたお寺で、「頼朝山法性浄院静松寺」と名付けらています。  
 頼朝山は、頼朝公寄進の山ということから、お寺の山号をとって頼朝山と名付けられたそうです。山頂には八幡宮が祀られていて、八幡山とも言われています。  
 葛山の山頂には、戦国時代の山城、葛山城跡があります。  
 天文24年(1555)年、武田晴信(信玄)は再度、北信濃に進出しようとしました。長尾景虎(上杉謙信)は、4月に善光寺平に出陣し横山城(城山)に本陣を置き、裾花川の北側に葛山城を築いて、対岸の旭山城を牽制しました。晴信は、犀川対岸の大塚に本陣を置いて旭山城を籠城させ、上杉勢と対峙しました。  
 しかし、両軍の力は拮抗し対陣が長引いたので、和議となり、旭山城の破却を条件に第2回川中島合戦が終息しました。  
 第三回川中島合戦は、弘治3年(1557年)2月に始まりました。晴信は、越後が雪で出陣できないことを見越し、大軍をもって上杉勢の葛山城を攻め落としました。  
 その時、火攻めの勢いは山を包み、逃げ場を失った婦女子たちは峯の上から裏の谷(姫谷と言われています)に身を投げたという悲話が伝えられています。  
 景虎は4月に善光寺平に出陣、破却させた旭山城を再興し、武田軍に奪われた葛山城の城下に火を放つなどしました。その後、上野原付近で戦闘が行われましたが決着がつきませんでした。  
 旭山と葛山は、裾花川を挟んで目と鼻の先にある山です。お互いの城を交換して武田・上杉両軍が戦ったことになる川中島合戦の攻防を知ると、トレッキングの楽しみが増します。

 
 

   

     

一番観音                        「頼朝山」山頂

 

   

     

「頼朝山」展望台                     眼下に市街地

 

   

     

「葛山城跡」                       「葛山」山頂

 

   

     

犀川と裾花川の合流(山頂から)           旭山と善光寺平遠望

 

   

     

葛山城の堀切                    城山公園からの山容





     

葛山城跡

山の名前場所標高トレッキングコース標高差総距離/時間備考
葛山長野市鑪(たたら)812m 芋井から往復約100m 約2q/1.5h '21.5.4
 
 

 葛山へ南(茂菅)側から登るコースは、登山のイメージが強いのですが、北(芋井)側からのコースは、山城を見学するイメージで、山城の構造を良く知ることが出来ます。  
 歴史的には、川中島合戦の上杉方の城です。もとは葛山衆と呼ばれる地侍落合氏の居城で、山頂には主郭、尾根には曲輪と堀切の遺構が、数多く残る東西約900m、南北約600mの大きな山城です。

 
 

     

「葛山」(北側から)

 

   

     

「葛山」山頂/葛山城跡(主郭跡)

 

   

     

東側の堀切/姫谷

 

   

     

西側の堀切/曲輪跡

 

   

     

北側の急坂/曲輪跡

 

     

南側の眺め(目の前に旭山)

 

   

     

西側の眺め(北アルプス)

 

     

北側の眺め(飯縄山)

 

     

東側の眺め(志賀高原)

 

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